を振ふことは変らなかつた。クリストの後に生れたクリストたちの彼の敵になつたのはこの為である。しかし彼等も同じやうにダマスカスへ向ふ途《みち》の上に必ず彼等の敵の中に聖霊を見ずにはゐられなかつた。
「サウロよ、サウロよ、何の為にわたしを苦しめるのか? 棘《とげ》のある鞭《むち》を蹴ることは決して手易《たやす》いものではない。」
 我々は唯|茫々《ばうばう》とした人生の中に佇《たたず》んでゐる。我々に平和を与へるものは眠りの外にある訣《わけ》はない。あらゆる自然主義者は外科医のやうに残酷にこの事実を解剖してゐる。しかし聖霊の子供たちはいつもかう云ふ人生の上に何か美しいものを残して行つた。何か「永遠に超《こ》えようとするもの」を。

     36[#「36」は縦中横] クリストの一生

 勿論クリストの一生はあらゆる天才の一生のやうに情熱に燃えた一生である。彼は母のマリアよりも父の聖霊の支配を受けてゐた。彼の十字架の上の悲劇は実にそこに存してゐる。彼の後に生まれたクリストたちの一人、――ゲエテは「徐《おもむ》ろに老いるよりもさつさと地獄へ行きたい」と願つたりした。が、徐ろに老いて行つた上、
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