「だのだ。わたしはいつもお前たちと一しよにゐることの出来るものではない。」
ゲツセマネの橄欖《かんらん》はゴルゴタの十字架よりも悲壮である。クリストは死力を揮ひながら、そこに彼自身とも、――彼自身の中の聖霊とも戦はうとした。ゴルゴタの十字架は彼の上に次第に影を落さうとしてゐる。彼はこの事実を知り悉《つく》してゐた。が、彼の弟子たちは、――ペテロさへ彼の心もちを理解することは出来なかつた。クリストの祈りは今日でも我々に迫る力を持つてゐる。――
「わが父よ、若し出来るものならば、この杯《さかづき》をわたしからお離し下さい。けれども仕かたはないと仰有るならば、どうか御心のままになすつて下さい。」
あらゆるクリストは人気のない夜中に必ずかう祈つてゐる。同時に又あらゆるクリストの弟子たちは「いたく憂《うれへ》て死ぬばかり」な彼の心もちを理解せずに橄欖の下に眠つてゐる。…………
29[#「29」は縦中横] ユダ
後代はいつかユダの上にも悪の円光を輝かせてゐる。しかしユダは必しも十二人の弟子たちの中でも特に悪かつた訣《わけ》ではない。ペテロさへ庭鳥《にはとり》の声を挙げる前に三度
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