、敵の屍体を見ると、中に金竜《きんりゅう》の衣《い》を着ているものがある。衆は皆これを智高だと云ったが、狄青は独り聞かなかった。『安《いずく》んぞその詐《いつわ》りにあらざるを知らんや。むしろ智高を失うとも、敢て朝廷を誣《し》いて功を貪《むさぼ》らじ』これは道徳的に立派なばかりではない。真理に対する態度としても、望ましい語《ことば》でしょう。ところが遺憾ながら、西南戦争当時、官軍を指揮した諸将軍は、これほど周密《しゅうみつ》な思慮を欠いていた。そこで歴史までも『かも知れぬ』を『である』に置き換えてしまったのです。」
 愈《いよいよ》どうにも口が出せなくなった本間さんは、そこで苦しまぎれに、子供らしい最後の反駁《はんばく》を試みた。
「しかし、そんなによく似ている人間がいるでしょうか。」
 すると老紳士は、どう云う訳か、急に瀬戸物のパイプを口から離して、煙草の煙にむせながら、大きな声で笑い出した。その声があまり大きかったせいか、向うのテエブルにいた芸者がわざわざふり返って、怪訝《けげん》な顔をしながら、こっちを見た。が、老紳士は容易に、笑いやまない。片手に鼻眼鏡が落ちそうになるのをおさえ
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