ながら、片手に火のついたパイプを持って、咽《のど》を鳴らし鳴らし、笑っている。本間さんは何だか訳がわからないので、白葡萄酒の杯を前に置いたまま、茫然とただ、相手の顔を眺めていた。
「それはいます。」老人はしばらくしてから、やっと息をつきながら、こう云った。
「今君が向うで居眠りをしているのを見たでしょう。あの男なぞは、あんなによく西郷隆盛に似ているではないですか。」
「ではあれは――あの人は何《なん》なのです。」
「あれですか。あれは僕の友人ですよ。本職は医者で、傍《かたわら》南画を描《か》く男ですが。」
「西郷隆盛ではないのですね。」
 本間さんは真面目な声でこう云って、それから急に顔を赤らめた。今まで自分のつとめていた滑稽な役まわりが、この時|忽然《こつぜん》として新しい光に、照される事になったからである。
「もし気に障《さわ》ったら、勘忍し給え。僕は君と話している中に、あんまり君が青年らしい正直な考を持っていたから、ちょいと悪戯《いたずら》をする気になったのです。しかしした事は悪戯でも、云った事は冗談ではない。――僕はこう云う人間です。」
 老紳士はポケットをさぐって、一枚の名刺
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