題が違って来る。ましてその首や首のない屍体《したい》を発見した事実になると、さっき君が云った通り、異説も決して少くない。そこも疑えば、疑える筈です。一方そう云う疑いがある所へ、君は今この汽車の中で西郷隆盛――と云いたくなければ、少くとも西郷隆盛に酷似《こくじ》している人間に遇《あ》った。それでも君には史料なるものの方が信ぜられますか。」
「しかしですね。西郷隆盛の屍体《したい》は確かにあったのでしょう。そうすると――」
「似ている人間は、天下にいくらもいます。右腕《みぎうで》に古い刀創《かたなきず》があるとか何とか云うのも一人に限った事ではない。君は狄青《てきせい》が濃智高《のんちこう》の屍《しかばね》を検した話を知っていますか。」
 本間さんは今度は正直に知らないと白状した。実はさっきから、相手の妙な論理と、いろいろな事をよく知っているのとに、悩まされて、追々この鼻眼鏡の前に一種の敬意に似たものを感じかかっていたのである。老紳士はこの間にポケットから、また例の瀬戸物のパイプを出して、ゆっくり埃及《エジプト》の煙をくゆらせながら、
「狄青が五十里を追うて、大理《だいり》に入《い》った時
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