外にしても、およそ歴史上の判断を下すに足るほど、正確な史料などと云うものは、どこにだってありはしないです。誰でもある事実の記録をするには自然と自分でディテエルの取捨選択をしながら、書いてゆく。これはしないつもりでも、事実としてするのだから仕方がない。と云う意味は、それだけもう客観的の事実から遠ざかると云う事です。そうでしょう。だから一見|当《あて》になりそうで、実ははなはだ当にならない。ウオルタア・ラレエが一旦起した世界史の稿を廃した話なぞは、よくこの間《かん》の消息を語っている。あれは君も知っているでしょう。実際我々には目前の事さえわからない。」
本間さんは実を云うと、そんな事は少しも知らなかった。が、黙っている中《うち》に、老紳士の方で知っているものときめてしまったらしい。
「そこで城山戦死説だが、あの記録にしても、疑いを挟《はさ》む余地は沢山ある。成程西郷隆盛が明治十年九月二十四日に、城山の戦で、死んだと云う事だけはどの史料も一致していましょう。しかしそれはただ、西郷隆盛と信ぜられる人間が、死んだと云うのにすぎないのです。その人間が実際西郷隆盛かどうかは、自《おのずか》らまた問
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