漢と、――ああその堂々たる相貌に、南洲先生の風骨を認めたのは果して自分の見ちがいであったろうか。あすこの電燈は、気のせいか、ここよりも明くない。が、あの特色のある眼もとや口もとは、側へ寄るまでもなくよく見えた。そうしてそれはどうしても、子供の時から見慣れている西郷隆盛の顔であった。……
「どうですね。これでもまだ、君は城山戦死説を主張しますか。」
老紳士は赤くなった顔に、晴々《はればれ》とした微笑を浮べて、本間さんの答を促した。
「…………」
本間さんは当惑した。自分はどちらを信ずればよいのであろう。万人に正確だと認められている無数の史料か、あるいは今見て来た魁偉《かいい》な老紳士か。前者を疑うのが自分の頭を疑うのなら、後者を疑うのは自分の眼を疑うのである。本間さんが当惑したのは、少しも偶然ではない。
「君は今現に、南洲先生を眼《ま》のあたりに見ながら、しかも猶《なお》史料を信じたがっている。」
老紳士はウイスキイの杯を取り上げながら、講義でもするような調子で語《ことば》を次いだ。
「しかし、一体君の信じたがっている史料とは何か、それからまず考えて見給え。城山戦死説はしばらく問題
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