れた事が、山県公《やまがたこう》にでも知れて見給え。それこそ僕一人の迷惑ではありませんからね。」
老紳士は考え考え、徐《おもむろ》にこう云った。それから鼻眼鏡の位置を変えて、本間さんの顔を探るような眼で眺めたが、そこに浮んでいる侮蔑《ぶべつ》の表情が、早くもその眼に映ったのであろう。残っているウイスキイを勢いよく、ぐいと飲み干すと、急に鬚だらけの顔を近づけて、本間さんの耳もとへ酒臭い口を寄せながら、ほとんど噛《か》みつきでもしそうな調子で、囁いた。
「もし君が他言《たごん》しないと云う約束さえすれば、その中の一つくらいは洩《も》らしてあげましょう。」
今度は本間さんの方で顔をしかめた。こいつは気違いかも知れないと云う気が、その時|咄嗟《とっさ》に頭をかすめたからである。が、それと同時に、ここまで追窮して置きながら、見す見すその事実なるものを逸してしまうのが、惜しいような、心もちもした。そこへまた、これくらいな嚇《おど》しに乗せられて、尻込みするような自分ではないと云う、子供じみた負けぬ気も、幾分かは働いたのであろう。本間さんは短くなったM・C・Cを、灰皿の中へ抛《ほう》りこみながら
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