母さんに聞いて来い。折角徳蔵もさう云ふものだし。」
 母はわたしの考へ通り、眼も明かずにほほ笑みながら、「上等だね」と申しました。意地の悪い兄は好《い》い塩梅《あんばい》に、丸佐へ出かけた留守でございます。わたしは泣いたのも忘れたやうに、早速人力車に飛び乗りました。赤毛布《あかゲツト》を膝掛けにした、輪のがらがらと鳴る人力車に。
 その時見て歩いた景色などは申し上げる必要もございますまい。唯今でも話に出るのは徳蔵の不平でございます。徳蔵はわたしを乗せた儘、煉瓦の大通りにさしかかるが早いか、西洋の婦人を乗せた馬車とまともに衝突しかかりました。それはやつと助かりましたが、忌々《いまいま》しさうに舌打ちをすると、こんなことを申すのでございます。
「どうもいけねえ。お嬢さんはあんまり軽過ぎるから、肝腎《かんじん》の足が踏ん止らねえ。……お嬢さん。乗せる車屋が可哀さうだから、二十《はたち》前にやあ車へお乗んなさんなよ。」
 人力車は煉瓦の大通りから、家の方へ横町を曲りました。すると忽《たちま》ち出遇つたのは兄の英吉でございます。兄は煤竹《すすだけ》の柄《え》のついた置きランプを一台さげた儘、急ぎ
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