なりましたが、どうせつける位ならばと大束《おほたば》をきめたのでございませう、徳川と申すのをつけることにしました。ところがお役所へ届けに出ると、叱られたの叱られないのではございません。何でも徳蔵の申しますには、今にも斬罪にされ兼ねない権幕だつたさうでございます。その徳蔵が気楽さうに、牡丹《ぼたん》に唐獅子《からじし》の画を描《か》いた当時の人力車を引張りながら、ぶらりと見世先へやつて来ました。それが又何しに来たのかと思ふと、今日は客のないのを幸ひ、お嬢さんを人力車にお乗せ申して、会津つ原から煉瓦通りへでもお伴をさせて頂きたい、――かう申すのでございます。
「どうする? お鶴。」
 父はわざと真面目さうに、人力車を見に見世へ出てゐたわたしの顔を眺めました。今日では人力車に乗ることなどはさ程子供も喜びますまい。しかし当時のわたしたちには丁度自働車に乗せて貰ふ位、嬉しいことだつたのでございます。が、母の病気と申し、殊にああ云ふ大騒ぎのあつた直《すぐ》あとのことでございますから、一概に行きたいとも申されません。わたしはまだ悄気切《しよげき》つたなり、「行きたい」と小声に答へました。
「ぢやあお
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