、今度は苦しさうに言葉を継ぎました。
「わたしはこの通りの体だしね、何も彼《か》もお父さんがなさるのだから、おとなしくしなけりやあいけませんよ。そりやあお隣の娘さんは芝居へも始終お出でなさるさ。……」
「芝居なんぞ見たくはないんだけれど……」
「いえ、芝居に限らずさ、簪《かんざし》だとか半襟《はんえり》だとか、お前にやあ欲しいものだらけでもね、……」
 わたしはそれを聞いてゐる中に、悔やしいのだか悲しいのだか、とうとう涙をこぼしてしまひました。
「あのねえ、お母さん。……わたしはねえ、……何も欲しいものはないんだけれどねえ、唯あのお雛様を売る前にねえ、……」
「お雛様かえ? お雛様を売る前に?」
 母は一層大きい眼にわたしの顔を見つめました。
「お雛様を売る前にねえ、……」
 わたしはちよいと云ひ渋りました。その途端にふと気がついて見ると、何時の間にか後ろに立つてゐるのは兄の英吉でございます。兄はわたしを見下しながら、不相変《あひかはらず》慳貪《けんどん》にかう申しました。
「わからず屋! 又お雛様のことだらう? お父さんに叱られたのを忘れたのか?」
「まあ、好《い》いぢやあないか? 
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