でございます。そんなことを考へると、愈《いよいよ》我慢は出来ますまい。わたしは母の眠つたのを幸ひ、そつと見世へ出かけました。見世は日当りこそ悪いものの、土蔵の中に比べれば、往来の人通りが見えるだけでも、まだしも陽気でございます。其処に父は帳合ひを検《しら》べ、兄はせつせつと片隅の薬研《やげん》に甘草《かんざう》か何かを下《おろ》して居りました。
「ねえ、お父さん。後生《ごしやう》一生のお願ひだから、……」
わたしは父の顔を覗《のぞ》きこみながら、何時《いつ》もの頼みを持ちかけました。が、父は承知するどころか、相手になる景色《けしき》もございません。
「そんなことはこの間も云つたぢやあないか?……おい、英吉! お前は今日は明るい内に、ちよいと丸佐へ行つて来てくれ。」
「丸佐へ?……来てくれと云ふんですか?」
「何、ランプを一つ持つて来て貰ふんだが、……お前、帰りに貰つて来ても好《い》い。」
「だつて丸佐にランプはないでせう?」
父はわたしをそつちのけに、珍しい笑ひ顔を見せました。
「燭台か何かぢやああるまいし、……ランプは買つてくれつて頼んであるんだ。わたしが買ふよりやあ確だから。」
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