やらなかつたのでございます。
 ところが十一月の二十九日、――愈《いよいよ》雛と別れると申す一日前のことでございます。わたしは雛と一しよにゐるのも、今日が最後だと考へると、殆ど矢も楯《たて》もたまらない位、もう一度箱が明けたくなりました。が、どんなにせがんだにしろ、父は不承知に違ひありません。すると母に話して貰ふ、――わたしは直《すぐ》にさう思ひましたが、何しろその後母の病気は前よりも一層|重《おも》つて居ります。食べ物もおも湯を啜《すす》る外は一切|喉《のど》を通りません。殊にこの頃は口中へも、絶えず血の色を交へた膿《うみ》がたまるやうになつたのでございます。かう云ふ母の姿を見ると、如何《いか》に十五の小娘にもせよ、わざわざ雛を飾りたいなぞとは口へ出す勇気も起りません。わたしは朝から枕もとに、母の機嫌を伺ひ伺ひ、とうとうお八つになる頃迄は何も云ひ出さずにしまひました。
 しかしわたしの眼の前には金網を張つた窓の下に、例の総桐の雛の箱が積み上げてあるのでございます。さうしてその雛の箱は今夜一晩過ごしたが最後、遠い、横浜の異人屋敷へ、……ことによれば亜米利加《アメリカ》へも行つてしまふの
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