油画の並んだ部屋に何時間も妹と話しこんだ。辰子はいつも熱心にゴオグとかセザンヌとかの話をした。当時どこかに上演中だった武者小路《むしゃのこうじ》氏の戯曲の話もした。広子も美術だの文芸だのに全然興味のない訣《わけ》ではなかった。しかし彼女の空想は芸術とはほとんど縁のない未来の生活の上に休み勝ちだった。目はその間も額縁《がくぶち》に入れた机の上の玉葱《たまねぎ》だの、繃帯《ほうたい》をした少女の顔だの、芋畑《いもばたけ》の向うに連《つらな》った監獄《かんごく》の壁だのを眺めながら。……
「何《なん》と言うの、あなたの画《え》の流儀は?」
 広子はそんなことを尋《たず》ねたために辰子を怒《おこ》らせたのを思い出した。もっとも妹に怒られることは必ずしも珍らしい出来事ではなかった。彼等は芸術の見かたは勿論、生活上の問題などにも意見の違うことはたびたびあった。現にある時は武者小路氏の戯曲さえ言い合いの種になった。その戯曲は失明した兄のために犠牲的《ぎせいてき》の結婚を敢《あえ》てする妹のことを書いたものだった。広子はこの上演を見物した時から、(彼女はよくよく退屈しない限り、小説や戯曲を読んだことは
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