にも残酷《ざんこく》にその目の注《そそ》がれるのを感じた。しかし彼は目《ま》じろぎもせずに悠々とパンを食いつづけるのだった。……
「野蛮人《やばんじん》よ、あの人は。」
 広子はこのことのあって後《のち》、こう辰子の罵《ののし》ったのをいまさらのように思い出した。なぜその篤介を愛するようになったか?――それは広子には不可解だった。けれども妹の気質《きしつ》を思えば、一旦篤介を愛し出したが最後、どのくらい情熱に燃えているかはたいてい想像出来るような気がした。辰子は物故《ぶっこ》した父のように、何ごとにも一図《いちず》になる気質だった。たとえば油画《あぶらえ》を始めた時にも、彼女の夢中になりさ加減は家族中の予想を超越《ちょうえつ》していた。彼女は華奢《きゃしゃ》な画の具箱を小脇《こわき》に、篤介と同じ研究所へ毎日せっせと通《かよ》い出した。同時にまた彼女の居間《いま》の壁には一週に必ず一枚ずつ新しい油画がかかり出した。油画は六号か八号のカンヴァスに人体ならば顔ばかりを、風景ならば西洋風の建物を描《えが》いたのが多いようだった。広子は結婚前の何箇月か、――殊に深い秋の夜《よ》などにはそう云う
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