の恋愛の相手に篤介《あつすけ》を選んだと言うことだけは意外に思わずにはいられなかった。広子は汽車に揺《ゆ》られている今でも、篤介のことを考えると、何か急に妹との間に谷あいの出来たことを感ずるのだった。
 篤介は広子にも顔馴染《かおなじ》みのあるある洋画研究所の生徒だった。処女《しょじょ》時代の彼女は妹と一しょに、この画の具だらけの青年をひそかに「猿《さる》」と諢名《あだな》していた。彼は実際顔の赤い、妙に目ばかり赫《かがや》かせた、――つまり猿じみた青年だった。のみならず身なりも貧しかった。彼は冬も金釦《きんボタン》の制服に古いレエン・コオトをひっかけていた。広子は勿論《もちろん》篤介に何の興味も感じなかった。辰子も――辰子は姉に比べると、一層彼を好まぬらしかった。あるいはむしろ積極的に憎んでいたとも云われるほどだった。一度なども辰子は電車に乗ると、篤介の隣りに坐ることになった。それだけでも彼女には愉快《ゆかい》ではなかった。そこへまた彼は膝《ひざ》の上の新聞紙包みを拡《ひろ》げると、せっせとパンを噛《か》じり出した。電車の中の人々の目は云い合せたように篤介へ向った。彼女は彼女自身の上
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