つ》そうにちらりと姉へ微笑を送った。広子はこの微笑の中に突然|一人前《いちにんまえ》の女を捉《とら》えた。もっともこれは東京駅へ出迎えた妹を見た時から、時々意識へ上《のぼ》ることだった。けれどもまだ今のように、はっきり焦点の合ったことはなかった。広子はその意識と共にたちまち篤介との関係にも多少の疑惑を抱き出した。
「あなたもそこへ行ったことがあるの?」
「ええ、たびたび行ったことがあるわ。」
 広子の聯想《れんそう》は結婚前のある夜《よ》の記憶を呼び起した。母はその夜《よ》風呂《ふろ》にはいりながら、彼女に日どりのきまったことを話した。それから常談《じょうだん》とも真面目《まじめ》ともつかずに体の具合《ぐあい》を尋ねたりした。生憎《あいにく》その夜の母のように淡白な態度に出られなかった彼女は、今もただじっと妹の顔を見守るよりほかに仕かたはなかった。しかし辰子は不相変《あいかわらず》落ち着いた微笑を浮べながら、眩《まぶ》しそうに黄色い電燈の笠へ目をやっているばかりだった。
「そんなことをしてもかまわないの?」
「大村が?」
「いいえ、あなたがよ。誤解でもされたら、迷惑じゃなくって?」

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