らしい。その癖病気の重いのは雪さんよりもむしろ清太郎だった。
「あたしはそんな意気地《いくじ》なしに育てた覚えはないんだがね。」
 女隠居は離れへ来る度に(清太郎は離れに床《とこ》に就《つ》いていた。)いつもつけつけと口小言《くちこごと》を言った。が、二十一になる清太郎は滅多《めった》に口答えもしたこともない。ただ仰向《あおむ》けになったまま、たいていはじっと目を閉じている。そのまた顔も透《す》きとおるように白い。Nさんは氷嚢《ひょうのう》を取り換えながら、時々その頬《ほお》のあたりに庭一ぱいの木賊《とくさ》の影が映《うつ》るように感じたと云うことである。
 ある晩の十時|前《まえ》に、Nさんはこの家《うち》から二三町離れた、灯《ひ》の多い町へ氷を買いに行った。その帰りに人通りの少ない屋敷続きの登り坂へかかると、誰か一人《ひとり》ぶらさがるように後ろからNさんに抱《だ》きついたものがある。Nさんは勿論びっくりした。が、その上にも驚いたことには思わずたじたじとなりながら、肩越しに相手をふり返ると、闇の中にもちらりと見えた顔が清太郎と少しも変らないことである。いや、変らないのは顔ばかりでは
前へ 次へ
全7ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング