母さえ捨て、兄弟にも仔細《しさい》は話さずに、はるばるこの島へ渡って来たのは、そのためばかりではありませんか? わたしはそうおっしゃられるほど、命が惜いように見えるでしょうか? わたしはそれほど恩義を知らぬ、人非人《にんぴにん》のように見えるでしょうか? わたしはそれほど、――」
「それほど愚かとは思わなかった。」
 御主人はまた前のように、にこにこ御笑いになりました。
「お前がこの島に止《とど》まっていれば、姫の安否《あんぴ》を知らせるのは、誰がほかに勤めるのじゃ? おれは一人でも不自由はせぬ。まして梶王《かじおう》と云う童《わらべ》がいる。――と云ってもまさか妬《ねた》みなぞはすまいな? あれは便りのないみなし児じゃ。幼い島流しの俊寛じゃ。お前は便船のあり次第、早速《さっそく》都へ帰るが好《よ》い。その代り今夜は姫への土産《みやげ》に、おれの島住いがどんなだったか、それをお前に話して聞かそう。またお前は泣いているな? よしよし、ではやはり泣きながら、おれの話を聞いてくれい。おれは独り笑いながら、勝手に話を続けるだけじゃ。」
 俊寛様は悠々と、芭蕉扇《ばしょうせん》を御使いなさりながら、島住居《しまずまい》の御話をなさり始めました。軒先《のきさき》に垂れた簾《すだれ》の上には、ともし火の光を尋ねて来たのでしょう、かすかに虫の這《は》う音が聞えています。わたしは頭を垂れたまま、じっと御話に伺い入りました。

        四

「おれがこの島へ流されたのは、治承《じしょう》元年七月の始じゃ。おれは一度も成親《なりちか》の卿《きょう》と、天下なぞを計った覚えはない。それが西八条《にしはちじょう》へ籠《こ》められた後《のち》、いきなり、この島へ流されたのじゃから、始はおれも忌々《いまいま》しさの余り、飯を食う気さえ起らなかった。」
「しかし都の噂《うわさ》では、――」
 わたしは御言葉を遮《さえぎ》りました。
「僧都《そうず》の御房《ごぼう》も宗人《むねと》の一人に、おなりになったとか云う事ですが、――」
「それはそう思うに違いない。成親の卿さえ宗人の一人に、おれを数えていたそうじゃから、――しかしおれは宗人ではない。浄海入道《じょうかいにゅうどう》の天下が好《よ》いか、成親の卿の天下が好いか、それさえおれにはわからぬほどじゃ。事によると成親の卿は、浄海入道よりひがんでいるだけ、天下の政治には不向きかも知れぬ。おれはただ平家《へいけ》の天下は、ないに若《し》かぬと云っただけじゃ。源平藤橘《げんぺいとうきつ》、どの天下も結局あるのはないに若《し》かぬ。この島の土人を見るが好《よ》い。平家の代《よ》でも源氏の代でも、同じように芋《いも》を食うては、同じように子を生んでいる。天下の役人は役人がいぬと、天下も亡ぶように思っているが、それは役人のうぬ惚《ぼ》れだけじゃ。」
「が僧都《そうず》の御房《ごぼう》の天下になれば、何御不足にもありますまい。」
 俊寛《しゅんかん》様の御眼《おめ》の中には、わたしの微笑が映ったように、やはり御微笑が浮びました。
「成親《なりちか》の卿の天下同様、平家《へいけ》の天下より悪いかも知れぬ。何故《なぜ》と云えば俊寛は、浄海入道《じょうかいにゅうどう》より物わかりが好《よ》い。物わかりが好ければ政治なぞには、夢中になれぬ筈ではないか? 理非曲直《りひきょくちょく》も弁《わきま》えずに、途方《とほう》もない夢ばかり見続けている、――そこが高平太《たかへいだ》の強い所じゃ。小松《こまつ》の内府《ないふ》なぞは利巧なだけに、天下を料理するとなれば、浄海入道より数段下じゃ。内府も始終病身じゃと云うが、平家一門のためを計《はか》れば、一日も早く死んだが好《よ》い。その上またおれにしても、食色《じきしき》の二性を離れぬ事は、浄海入道と似たようなものじゃ。そう云う凡夫《ぼんぷ》の取った天下は、やはり衆生《しゅじょう》のためにはならぬ。所詮人界《しょせんにんがい》が浄土になるには、御仏《みほとけ》の御天下《おんてんか》を待つほかはあるまい。――おれはそう思っていたから、天下を計る心なぞは、微塵《みじん》も貯えてはいなかった。」
「しかしあの頃は毎夜のように、中御門高倉《なかみかどたかくら》の大納言様《だいなごんさま》へ、御通いなすったではありませんか?」
 わたしは御不用意を責めるように、俊寛様の御顔を眺めました、ほんとうに当時の御主人は、北《きた》の方《かた》の御心配も御存知ないのか、夜は京極《きょうごく》の御屋形《おやかた》にも、滅多《めった》に御休みではなかったのです。しかし御主人は不相変《あいかわらず》、澄ました御顔をなすったまま、芭蕉扇《ばしょうせん》を使っていらっしゃいました。
「そこが凡夫の浅ましさじゃ。ちょうどあの頃あの屋形には、鶴《つる》の前《まえ》と云う上童《うえわらわ》があった。これがいかなる天魔の化身《けしん》か、おれを捉《とら》えて離さぬのじゃ。おれの一生の不仕合わせは、皆あの女がいたばかりに、降《ふ》って湧いたと云うても好《よ》い。女房に横面《よこつら》を打たれたのも、鹿《しし》ヶ谷《たに》の山荘を仮《か》したのも、しまいにこの島へ流されたのも、――しかし有王《ありおう》、喜んでくれい。おれは鶴の前に夢中になっても、謀叛《むほん》の宗人《むねと》にはならなかった。女人《にょにん》に愛楽を生じたためしは、古今の聖者にも稀《まれ》ではない。大幻術の摩登伽女《まとうぎゃにょ》には、阿難尊者《あなんそんじゃ》さえ迷わせられた。竜樹菩薩《りゅうじゅぼさつ》も在俗の時には、王宮の美人を偸《ぬす》むために、隠形《おんぎょう》の術を修せられたそうじゃ。しかし謀叛人になった聖者は、天竺震旦《てんじくしんたん》本朝を問わず、ただの一人もあった事は聞かぬ。これは聞かぬのも不思議はない。女人《にょにん》に愛楽を生ずるのは、五根《ごこん》の欲を放つだけの事じゃ。が、謀叛《むほん》を企てるには、貪嗔癡《どんしんち》の三毒を具えねばならぬ。聖者は五欲を放たれても、三毒の害は受けられぬのじゃ。して見ればおれの知慧《ちえ》の光も、五欲のために曇ったと云え、消えはしなかったと云わねばなるまい。――が、それはともかくも、おれはこの島へ渡った当座、毎日|忌々《いまいま》しい思いをしていた。」
「それはさぞかし御難儀《ごなんぎ》だったでしょう。御食事は勿論、御召し物さえ、御不自由勝ちに違いありませんから。」
「いや、衣食は春秋《はるあき》二度ずつ、肥前《ひぜん》の国|鹿瀬《かせ》の荘《しょう》から、少将のもとへ送って来た。鹿瀬の荘は少将の舅《しゅうと》、平《たいら》の教盛《のりもり》の所領の地じゃ。その上おれは一年ほどたつと、この島の風土にも慣れてしまった。が、忌々《いまいま》しさを忘れるには、一しょに流された相手が悪い。丹波《たんば》の少将|成経《なりつね》などは、ふさいでいなければ居睡《いねむ》りをしていた。」
「成経様は御年若でもあり、父君の御不運を御思いになっては、御歎きなさるのもごもっともです。」
「何、少将はおれと同様、天下はどうなってもかまわぬ男じゃ。あの男は琵琶《びわ》でも掻《か》き鳴らしたり、桜の花でも眺めたり、上臈《じょうろう》に恋歌《れんか》でもつけていれば、それが極楽《ごくらく》じゃと思うている。じゃからおれに会いさえすれば、謀叛人の父ばかり怨んでいた。」
「しかし康頼《やすより》様は僧都《そうず》の御房《ごぼう》と、御親しいように伺《うかが》いましたが。」
「ところがこれが難物なのじゃ。康頼は何でも願《がん》さえかければ、天神地神《てんじんちじん》諸仏菩薩《しょぶつぼさつ》、ことごとくあの男の云うなり次第に、利益《りやく》を垂れると思うている。つまり康頼の考えでは、神仏も商人と同じなのじゃ。ただ神仏は商人のように、金銭では冥護《みょうご》を御売りにならぬ。じゃから祭文《さいもん》を読む。香火を供《そな》える。この後《うしろ》の山なぞには、姿の好《よ》い松が沢山あったが、皆康頼に伐《き》られてしもうた。伐って何にするかと思えば、千本の卒塔婆《そとば》を拵《こしら》えた上、一々それに歌を書いては、海の中へ抛《ほう》りこむのじゃ。おれはまだ康頼くらい、現金な男は見た事がない。」
「それでも莫迦《ばか》にはなりません。都の噂ではその卒塔婆が、熊野《くまの》にも一本、厳島《いつくしま》にも一本、流れ寄ったとか申していました。」
「千本の中には一本や二本、日本《にほん》の土地へも着きそうなものじゃ。ほんとうに冥護《みょうご》を信ずるならば、たった一本流すが好《よ》い。その上康頼は難有《ありがた》そうに、千本の卒塔婆《そとば》を流す時でも、始終風向きを考えていたぞ。いつかおれはあの男が、海へ卒塔婆を流す時に、帰命頂礼《きみょうちょうらい》熊野三所《くまのさんしょ》の権現《ごんげん》、分けては日吉山王《ひよしさんおう》、王子《おうじ》の眷属《けんぞく》、総じては上《かみ》は梵天帝釈《ぼんてんたいしゃく》、下《しも》は堅牢地神《けんろうじしん》、殊には内海外海《ないかいげかい》竜神八部《りゅうじんはちぶ》、応護《おうご》の眦《まなじり》を垂れさせ給えと唱《とな》えたから、その跡《あと》へ並びに西風大明神《にしかぜだいみょうじん》、黒潮権現《くろしおごんげん》も守らせ給え、謹上再拝《きんじょうさいはい》とつけてやった。」
「悪い御冗談《ごじょうだん》をなさいます。」
 わたしもさすがに笑い出しました。
「すると康頼《やすより》は怒《おこ》ったぞ。ああ云う大嗔恚《だいしんい》を起すようでは、現世利益《げんぜりやく》はともかくも、後生往生《ごしょうおうじょう》は覚束《おぼつか》ないものじゃ。――が、その内に困まった事には、少将もいつか康頼と一しょに、神信心を始めたではないか? それも熊野《くまの》とか王子《おうじ》とか、由緒《ゆいしょ》のある神を拝むのではない。この島の火山には鎮護《ちんご》のためか、岩殿《いわどの》と云う祠《ほこら》がある。その岩殿へ詣でるのじゃ。――火山と云えば思い出したが、お前はまだ火山を見た事はあるまい?」
「はい、たださっき榕樹《あこう》の梢《こずえ》に、薄赤い煙のたなびいた、禿《は》げ山の姿を眺めただけです。」
「では明日《あす》でもおれと一しょに、頂へ登って見るが好《よ》い。頂へ行けばこの島ばかりか、大海の景色は手にとるようじゃ。岩殿の祠も途中にある、――その岩殿へ詣でるのに、康頼はおれにも行けと云うたが、おれは容易《ようい》には行こうとは云わぬ。」
「都では僧都《そうず》の御房《ごぼう》一人、そう云う神詣でもなさらないために、御残されになったと申して居ります。」
「いや、それはそうかも知れぬ。」
 俊寛様は真面目《まじめ》そうに、ちょいと御首を御振りになりました。
「もし岩殿に霊があれば、俊寛一人を残したまま、二人の都返りを取り持つくらいは、何とも思わぬ禍津神《まがつがみ》じゃ。お前はさっきおれが教えた、少将の女房を覚えているか? あの女もやはり岩殿へ、少将がこの島を去らぬように、毎日毎夜詣でたものじゃ。所がその願《がん》は少しも通らぬ。すると岩殿と云う神は、天魔にも増した横道者《おうどうもの》じゃ。天魔には世尊御出世《せそんごしゅっせい》の時から、諸悪を行うと云う戒行《かいぎょう》がある。もし岩殿の神の代りに、天魔があの祠にいるとすれば、少将は都へ帰る途中、船から落ちるか、熱病になるか、とにかくに死んだのに相違ない。これが少将もあの女も、同時に破滅させる唯一の途《みち》じゃ。が、岩殿は人間のように、諸善ばかりも行わねば、諸悪ばかりも行わぬらしい。もっともこれは岩殿には限らぬ。奥州名取郡《おうしゅうなとりのこおり》笠島《かさじま》の道祖《さえ》は、都の加茂河原《かもがわら》の西、一条の北の辺《ほとり》に住ませられる、出雲路《いずもじ》の道祖《さえ》の御娘《おんむすめ》じゃ。が、この神は
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