浪打際《なみうちぎわ》を独り御出でになる、――見れば御手《おて》には何と云うのか、笹の枝に貫いた、小さい魚を下げていらっしゃいました。
「僧都《そうず》の御房《ごぼう》! よく御無事でいらっしゃいました。わたしです! 有王《ありおう》です!」
 わたしは思わず駈け寄りながら、嬉しまぎれにこう叫びました。
「おお、有王か!」
 俊寛様は驚いたように、わたしの顔を御覧になりました。が、もうわたしはその時には、御主人の膝を抱《だ》いたまま、嬉し泣きに泣いていたのです。
「よく来たな。有王! おれはもう今生《こんじょう》では、お前にも会えぬと思っていた。」
 俊寛様もしばらくの間《あいだ》は、涙ぐんでいらっしゃるようでしたが、やがてわたしを御抱き起しになると、
「泣くな。泣くな。せめては今日《きょう》会っただけでも、仏菩薩《ぶつぼさつ》の御慈悲《ごじひ》と思うが好《よ》い。」と、親のように慰めて下さいました。
「はい、もう泣きは致しません。御房《ごぼう》は、――御房の御住居《おすまい》は、この界隈《かいわい》でございますか?」
「住居か? 住居はあの山の陰《かげ》じゃ。」
 俊寛様は魚を下げた
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