君は泣かないのかい」
僕は、君の弟の肩をたたいて、きいてみた。
「泣くものか。僕は男じゃないか」
さながら、この自明の理を知らない僕をあわれむような調子である。僕はまた、微笑した。
船はだんだん、遠くなった。もう君の顔も見えない。ただ、扇をあげて、時々こっちの万歳に答えるのだけがわかる。
「おい、みんなひなたへ出ようじゃないか。日かげにいると、向こうからこっちが見えない」
久米《くめ》が、皆をふり返ってこう言った。そこで、皆ひなたへ出た。僕はやはり帽子をあげて立っている。僕のとなりには、ジョオンズが、怪しげなパナマをふっている。その前には、背の高い松岡《まつおか》と背の低い菊池《きくち》とが、袂《たもと》を風に翻しながら、並んで立っている。そうして、これも帽子をふっている。時々、久米が、大きな声を出して、「成瀬《なるせ》」と呼ぶ。ジョオンズが、口笛をふく。君の弟が、ステッキをふりまわして「兄さん万歳」を連叫《れんきょう》する。――それが、いよいよ、君が全く見えなくなるまで、続いた。
帰りぎわに、ふりむいて見たら、例の年よりの異人《いじん》は、まだ、ぼんやり船の出て行った方をな
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