がら、ジョオンズとでたらめな会話をやっていた。彼はクロンプトン・マッケンジイがどうとか言ったかと思うと、ロシアの監獄へは、牢《ろう》やぶりの器械を売りに来るとかなんとか言う。何をしゃべっているのだか、わからない。ただ、君を見送ってから彼が沼津《ぬまづ》へ写生にゆくということだけは、何度もきき返してやっとわかった。
 そのうちに、気がついて見ると、船と波止場との距離が、だいぶん遠くなっている。この時、かなり痛切に、君が日本を離れるのだという気がした。皆が、成瀬君万歳と言う。君は扇を動かして、それに答えた。が、僕は中学時代から一度も、大きな声で万歳と言ったことがない。そこで、その時も、ただ、かぶっていた麦わら帽子をぬいで、それを高くさし上げて、パセティックな心もちに順応させた。万歳の声は、容易にやまない。僕は君に、いつか、「燃焼しない」(君のことばをそのまま、使えば)と言って非難されたことを思い出した。そうして微笑した。僕の前では君の弟が、ステッキの先へハンケチを結びつけて、それを勢いよくふりながら「兄さん万歳」をくり返している。……
 後甲板《こうかんぱん》には、ロシアの役者が大ぜい乗っ
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