、いちいち理解するほど、神経を緊張する気になれない。
そのうちに、船が動きだした。それも、はなはだ、緩慢《かんまん》な動き方で、船と波止場との間の水が少しずつ幅を広くしていくから、わかるようなものの、さもなければ、ほとんど、動いているとは受取れないくらいである。おまけに、この間の水なるものが、非常にきたない。わらくずやペンキ塗りの木の片《きれ》が黄緑色に濁った水面を、一面におおっている。どうも、昔、森さんの「桟橋《さんばし》」とかいうもので読んだほど、小説らしくもなんともない。
麦わら帽子をかぶって、茶の背広を着た君は、扇を持って、こっちをながめていた。それも至極通俗なながめ方である。学校から帰りに、神田《かんだ》をいっしょに散歩して、須田町《すだちょう》へ来ると、いつも君は三田《みた》行の電車へのり、僕は上野《うえの》行の電車にのった。そうしてどっちか先へのったほうを、あとにのこされたほうが見送るという習慣があった。今日《きょう》、船の上にいる君が、波止場《はとば》をながめるのも、その時とたいした変わりはない。(あるいは僕のほうに、変わりがないせいだろうか)僕は、時々君の方を見な
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