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 元宰先生《げんさいせんせい》(董其昌《とうきしょう》)が在世中《ざいせいちゅう》のことです。ある年の秋先生は、煙客翁《えんかくおう》と画論をしている内に、ふと翁に、黄一峯《こういっぽう》の秋山図を見たかと尋ねました。翁はご承知のとおり画事の上では、大癡を宗《そう》としていた人です。ですから大癡の画という画はいやしくも人間《じんかん》にある限り、看尽《みつく》したと言ってもかまいません。が、その秋山図という画ばかりは、ついに見たことがないのです。
「いや、見るどころか、名を聞いたこともないくらいです」
 煙客翁はそう答えながら、妙に恥《はずか》しいような気がしたそうです。
「では機会のあり次第、ぜひ一度は見ておおきなさい。夏山図《かざんず》や浮嵐図《ふらんず》に比べると、また一段と出色《しゅっしょく》の作です。おそらくは大癡《たいち》老人の諸本の中でも、白眉《はくび》ではないかと思いますよ」
「そんな傑作ですか? それはぜひ見たいものですが、いったい誰が持っているのです?」
「潤州《じゅんしゅう》の張氏《ちょうし》の家にあるのです。金山寺《きんざんじ》
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