てられた光栄ある興雲閣に対しては索莫《さくばく》たる嫌悪《けんお》の情以外になにものも感ずることはできないが、農工銀行をはじめ、二、三の新たなる建築物に対してはむしろその効果《メリット》において認むべきものが少くないと思っている。
 全国の都市の多くはことごとくその発達の規範を東京ないし大阪に求めている。しかし東京ないし大阪のごとくになるということは、必ずしもこれらの都市が踏んだと同一な発達の径路によるということではない。否むしろ先達《せんだつ》たる大都市が十年にして達しえた水準へ五年にして達しうるのが後進たる小都市の特権である。東京市民が現に腐心しつつあるものは、しばしば外国の旅客に嗤笑《ししょう》せらるる小人《ピグミイ》の銅像を建設することでもない。ペンキと電灯とをもって広告と称する下等なる装飾を試みることでもない。ただ道路の整理と建築の改善とそして街樹の養成とである。自分はこの点において、松江市は他のいずれの都市よりもすぐれた便宜を持っていはしないかと思う。堀割に沿うて造られた街衢《がいく》の井然《せいぜん》たることは、松江へはいるとともにまず自分を驚かしたものの一つである。しか
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