共にした少女は夕飯《ゆうはん》の膳《ぜん》についた父や母にけさの出来事を話しているかも知れない。保吉もまた二十年|前《ぜん》には娑婆苦《しゃばく》を知らぬ少女のように、あるいは罪のない問答の前に娑婆苦を忘却した宣教師のように小さい幸福を所有していた。大徳院《だいとくいん》の縁日《えんにち》に葡萄餅《ぶどうもち》を買ったのもその頃である。二州楼《にしゅうろう》の大広間に活動写真を見たのもその頃である。
「本所深川《ほんじょふかがわ》はまだ灰の山ですな。」
「へええ、そうですかねえ。時に吉原《よしわら》はどうしたんでしょう?」
「吉原はどうしましたか、――浅草《あさくさ》にはこの頃お姫様の婬売《いんばい》が出ると云うことですな。」
 隣りのテエブルには商人が二人、こう云う会話をつづけている。が、そんなことはどうでも好《い》い。カフェの中央のクリスマスの木は綿をかけた針葉《しんよう》の枝に玩具《おもちゃ》のサンタ・クロオスだの銀の星だのをぶら下げている。瓦斯煖炉《ガスだんろ》の炎《ほのお》も赤あかとその木の幹を照らしているらしい。きょうはお目出たいクリスマスである。「世界中のお祝するお誕生日
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