ましたね。きょうはこの上もないお誕生日です。世界中のお祝いするお誕生日です。あなたは今に、――あなたの大人《おとな》になった時にはですね、あなたはきっと……」
 宣教師は言葉につかえたまま、自働車の中を見廻した。同時に保吉と眼を合わせた。宣教師の眼はパンス・ネエの奥に笑い涙をかがやかせている。保吉はその幸福に満ちた鼠色《ねずみいろ》の眼の中にあらゆるクリスマスの美しさを感じた。少女は――少女もやっと宣教師の笑い出した理由に気のついたのであろう、今は多少|拗《す》ねたようにわざと足などをぶらつかせている。
「あなたはきっと賢《かしこ》い奥さんに――優しいお母さんにおなりなさるでしょう。ではお嬢さん、さようなら。わたしの降りる所へ来ましたから。では――」
 宣教師はまた前のように一同の顔を見渡した。自働車はちょうど人通りの烈しい尾張町《おわりちょう》の辻に止まっている。
「では皆さん、さようなら。」
 数時間の後《のち》、保吉はやはり尾張町のあるバラックのカフェの隅にこの小事件を思い出した。あの肥《ふと》った宣教師はもう電燈もともり出した今頃、何をしていることであろう? クリストと誕生日を
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