まった。同時にまた勇ましい空想も石鹸玉《しゃぼんだま》のように消えてしまった。もう彼は光栄に満ちた一瞬間前の地雷火ではない。顔は一面に鼻血にまみれ、ズボンの膝は大穴のあいた、帽子《ぼうし》も何もない少年である。彼はやっと立ち上ると、思わず大声に泣きはじめた。敵味方の少年はこの騒ぎにせっかくの激戦も中止したまま、保吉のまわりへ集まったらしい。「やあ、負傷した」と云うものもある。「仰向けにおなりよ」と云うものもある。「おいらのせいじゃなあい」と云うものもある。が、保吉は痛みよりも名状の出来ぬ悲しさのために、二の腕に顔を隠したなり、いよいよ懸命に泣きつづけた。すると突然耳もとに嘲笑《ちょうしょう》の声を挙げたのは陸軍大将の川島である。
「やあい、お母さんて泣いていやがる!」
 川島の言葉はたちまちのうちに敵味方の言葉を笑い声に変じた。殊に大声に笑い出したのは地雷火になり損《そこな》った小栗である。
「可笑《おか》しいな。お母さんて泣いていやがる!」
 けれども保吉は泣いたにもせよ、「お母さん」などと云った覚えはない。それを云ったように誣《し》いるのはいつもの川島の意地悪である。――こう思った
前へ 次へ
全38ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング