ば、異存のない真理に違いない。海は実は代赭色をしている。バケツの錆《さび》に似た代赭色をしている。
 三十年前の保吉の態度は三十年後の保吉にもそのまま当嵌《あてはま》る態度である。代赭色の海を承認するのは一刻も早いのに越したことはない。かつまたこの代赭色の海を青い海に変えようとするのは所詮《しょせん》徒労《とろう》に畢《おわ》るだけである。それよりも代赭色の海の渚《なぎさ》に美しい貝を発見しよう。海もそのうちには沖のように一面に青あおとなるかも知れない。が、将来に※[#「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1−84−54]《あこが》れるよりもむしろ現在に安住しよう。――保吉は予言者的精神に富んだ二三の友人を尊敬しながら、しかもなお心の一番底には不相変《あいかわらず》ひとりこう思っている。
 大森の海から帰った後、母はどこかへ行った帰りに「日本昔噺《にほんむかしばなし》」の中にある「浦島太郎《うらしまたろう》」を買って来てくれた。こう云うお伽噺《とぎばなし》を読んで貰《もら》うことの楽しみだったのは勿論である。が、彼はそのほかにももう一つ楽しみを持ち合せていた。それはあり合せの水絵具に一
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