はね、ほら、お前は蟻《あり》を殺すだろう。……」
父は気の毒にも丹念《たんねん》に死と云うものを説明し出した。が、父の説明も少年の論理を固守《こしゅ》する彼には少しも満足を与えなかった。なるほど彼に殺された蟻の走らないことだけは確かである。けれどもあれは死んだのではない。ただ彼に殺されたのである。死んだ蟻と云う以上は格別彼に殺されずとも、じっと走らずにいる蟻でなければならぬ。そう云う蟻には石燈籠《いしどうろう》の下や冬青《もち》の木の根もとにも出合った覚えはない。しかし父はどう云う訣《わけ》か、全然この差別を無視している。……
「殺された蟻は死んでしまったのさ。」
「殺されたのは殺されただけじゃないの?」
「殺されたのも死んだのも同じことさ。」
「だって殺されたのは殺されたって云うもの。」
「云っても何でも同じことなんだよ。」
「違う。違う。殺されたのと死んだのとは同じじゃない。」
「莫迦《ばか》、何と云うわからないやつだ。」
父に叱《しか》られた保吉の泣き出してしまったのは勿論《もちろん》である。が、いかに叱られたにしろ、わからないことのわかる道理はない。彼はその後《ご》数箇月の
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