、支那人の民家が七八軒、ひっそりと暁《あかつき》を迎えている、――その家々の屋根の上には、石油色に襞《ひだ》をなぞった、寒い茶褐色の松樹山《しょうじゅざん》が、目の前に迫って見えるのだった。隊はこの村を離れると、四列側面の隊形を解いた。のみならずいずれも武装したまま、幾条かの交通路に腹這《はらば》いながら、じりじり敵前へ向う事になった。
 勿論《もちろん》江木《えぎ》上等兵も、その中に四つ這いを続けて行った。「酒保の酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」――そう云う堀尾《ほりお》一等卒の言葉は、同時にまた彼の腹の底だった。しかし口数の少い彼は、じっとその考えを持ちこたえていた。それだけに、一層戦友の言葉は、ちょうど傷痕《きずあと》にでも触《ふ》れられたような、腹立たしい悲しみを与えたのだった。彼は凍《こご》えついた交通路を、獣《けもの》のように這い続けながら、戦争と云う事を考えたり、死と云う事を考えたりした。が、そう云う考えからは、寸毫《すんごう》の光明も得られなかった。死は×××××にしても、所詮《しょせん》は呪《のろ》うべき怪物だった。戦争は、――彼はほとんど戦争は、罪悪
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