ぶぎょう》のように、何か云い遺《のこ》す事はないかと云う。巡査は故郷に母がある、と云う。署長はまた母の事は心配するな。何かそのほかにも末期《まつご》の際に、心遺りはないかと云う。巡査は何も云う事はない、ピストル強盗を捉えたのは、この上もない満足だと云う。
――その時ひっそりした場内に、三度《さんど》将軍の声が響いた。が、今度は叱声《しっせい》の代りに、深い感激の嘆声だった。
「偉い奴じゃ。それでこそ日本男児《にっぽんだんじ》じゃ。」
穂積中佐はもう一度、そっと将軍へ眼を注いだ。すると日に焼けた将軍の頬《ほお》には、涙の痕《あと》が光っていた。「将軍は善人だ。」――中佐は軽い侮蔑《ぶべつ》の中《うち》に、明るい好意をも感じ出した。
その時幕は悠々と、盛んな喝采《かっさい》を浴びながら、舞台の前に引かれて行った。穂積《ほづみ》中佐はその機会に、ひとり椅子《いす》から立ち上ると、会場の外へ歩み去った。
三十分の後《のち》、中佐は紙巻を啣《くわ》えながら、やはり同参謀の中村《なかむら》少佐と、村はずれの空地《あきち》を歩いていた。
「第×師団の余興は大成功だね。N閣下は非常に喜んでいら
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