しょうせい》が立ち昇《のぼ》った。いや、その後《うしろ》の将校たちも、大部分は笑《わらい》を浮べていた。が、俄はその笑と競《きそ》うように、ますます滑稽《こっけい》を重ねて行った。そうしてとうとうしまいには、越中褌《えっちゅうふんどし》一つの主人が、赤い湯もじ一つの下女と相撲《すもう》をとり始める所になった。
 笑声はさらに高まった。兵站監部《へいたんかんぶ》のある大尉なぞは、この滑稽を迎えるため、ほとんど拍手さえしようとした。ちょうどその途端だった。突然烈しい叱咤《しった》の声は、湧き返っている笑の上へ、鞭《むち》を加えるように響き渡った。
「何だ、その醜態《しゅうたい》は? 幕を引け! 幕を!」
 声の主《ぬし》は将軍だった。将軍は太い軍刀の※[#「木+覇」、第4水準2−15−85]《つか》に、手袋の両手を重ねたまま、厳然と舞台を睨《にら》んで居た。
 幕引きの少尉は命令通り、呆気《あっけ》にとられた役者たちの前へ、倉皇《そうこう》とさっきの幕を引いた。同時に蓆敷の看客も、かすかなどよめきの声のほかは、ひっそりと静まり返ってしまった。
 外国の従軍武官たちと、一つ席にいた穂積《ほづみ》中佐は、この沈黙を気の毒に思った。俄は勿論彼の顔には、微笑さえも浮ばせなかった。しかし彼は看客の興味に、同情を持つだけの余裕はあった。では外国武官たちに、裸《はだか》の相撲を見せても好《い》いか?――そう云う体面を重ずるには、何年か欧洲《おうしゅう》に留学した彼は、余りに外国人を知り過ぎていた。
「どうしたのですか?」
 仏蘭西《フランス》の将校は驚いたように、穂積中佐をふりかえった。
「将軍が中止を命じたのです。」
「なぜ?」
「下品ですから、――将軍は下品な事は嫌いなのです。」
 そう云う内にもう一度、舞台の拍子木《ひょうしぎ》が鳴り始めた。静まり返っていた兵卒たちは、この音に元気を取り直したのか、そこここから拍手《はくしゅ》を送り出した。穂積中佐もほっとしながら、彼の周囲を眺め廻した。周囲にい並んだ将校たちは、いずれも幾分か気兼《きがね》そうに、舞台を見たり見なかったりしている、――その中にたった一人、やはり軍刀へ手をのせたまま、ちょうど幕の開《あ》き出した舞台へ、じっと眼を注いでいた。
 次の幕は前と反対に、人情がかった旧劇だった。舞台にはただ屏風《びょうぶ》のほかに、火の
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