《あばた》のある物売りはいつもただつまらなそうに、頸《くび》へ吊《つ》った箱の中の新聞だのキャラメルだのを眺めている。これは一介《いっかい》の商人ではない。我々の生命を阻害《そがい》する否定的精神の象徴《しょうちょう》である。保吉はこの物売りの態度に、今日《きょう》も――と言うよりもむしろ今日はじっとしてはいられぬ苛立《いらだ》たしさを感じた。
「朝日《あさひ》をくれ給え。」
「朝日?」
 物売りは不相変《あいかわらず》目を伏せたまま、非難するように問い返した。
「新聞ですか? 煙草《たばこ》ですか?」
 保吉は眉間《みけん》の震《ふる》えるのを感じた。
「ビイル!」
 物売りはさすがに驚いたように保吉の顔へ目を注《そそ》いだ。
「朝日ビイルはありません。」
 保吉は溜飲《りゅういん》を下げながら、物売りを後《うし》ろに歩き出した。しかしそこへ買いに来た朝日は、――朝日などはもう吸わずとも好《い》い。忌《いま》いましい物売りを一蹴《いっしゅう》したのはハヴァナを吸ったのよりも愉快である。彼はズボンのポケットの底の六十何銭かも忘れたまま、プラットフォオムの先へ歩いて行った。ちょうどワグラ
前へ 次へ
全22ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング