はてれ隠しに微笑《びしょう》しながら、四《よ》つ折《おり》に折った十円札を出した。
「これはほんの少しですが、東京|行《ゆき》の汽車賃に使って下さい。」
 保吉は大いに狼狽《ろうばい》した。ロックフェラアに金を借りることは一再《いっさい》ならず空想している。しかし粟野さんに金を借りることはまだ夢にも見た覚えはない。のみならず咄嗟《とっさ》に思い出したのは今朝《けさ》滔々《とうとう》と粟野さんに売文の悲劇を弁《べん》じたことである。彼はまっ赤《か》になったまま、しどろもどろに言い訣《わけ》をした。
「いや、実は小遣《こづか》いは、――小遣いはないのに違いないんですが、――東京へ行けばどうかなりますし、――第一もう東京へは行《ゆ》かないことにしているんですから。……」
「まあ、取ってお置きなさい。これでも無いよりはましですから。」
「実際必要はないんです。難有《ありがと》うございますが、……」
 粟野さんはちょっと当惑《とうわく》そうに啣えていたパイプを離しながら、四つ折の十円札へ目を落した。が、たちまち目を挙げると、もう一度|金縁《きんぶち》の近眼鏡の奥に嬌羞に近い微笑を示した。
「そう
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