を致す訣《わけ》もございませぬ。しかし数馬は依怙のあるように疑ったかとも思いまする。」
「日頃はどうじゃ? そちは何か数馬を相手に口論でも致した覚えはないか?」
「口論などを致したことはございませぬ。ただ………」
 三右衛門はちょっと云い澱《よど》んだ。もっとも云おうか云うまいかとためらっている気色《けしき》とは見えない。一応《いちおう》云うことの順序か何か考えているらしい面持《おもも》ちである。治修《はるなが》は顔色《がんしょく》を和《やわら》げたまま、静かに三右衛門の話し出すのを待った。三右衛門は間《ま》もなく話し出した。
「ただこう云うことがございました。試合の前日でございまする。数馬は突然わたくしに先刻の無礼を詫《わ》びました。しかし先刻の無礼と申すのは一体何のことなのか、とんとわからぬのでございまする。また何かと尋ねて見ても、数馬は苦笑《にがわら》いを致すよりほかに返事を致さぬのでございまする。わたくしはやむを得ませぬゆえ、無礼をされた覚えもなければ詫びられる覚えもなおさらないと、こう数馬に答えました。すると数馬も得心《とくしん》したように、では思違いだったかも知れぬ、どうか
前へ 次へ
全20ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング