しょかんせん》に覚束《おぼつか》ないペンの字を並べたものだった。彼は一通り読んでしまうと、一本の巻煙草に火をつけながら、ちょうど前にいたY中尉にこの手紙を投げ渡した。
「何《なん》だ、これは? ……『昨日《さくじつ》のことは夫の罪にては無之《これなく》、皆浅はかなるわたくしの心より起りしこと故、何とぞ不悪《あしからず》御ゆるし下され度《たく》候《そうろう》。……なおまた御志《おこころざし》のほどは後《のち》のちまでも忘れまじく』………」
 Y中尉は手紙を持ったまま、だんだん軽蔑《けいべつ》の色を浮べ出した。それから無愛想《ぶあいそう》にA中尉の顔を見、冷《ひや》かすように話しかけた。
「善根《ぜんこん》を積んだと云う気がするだろう?」
「ふん、多少しないこともない。」
 A中尉は軽がると受け流したまま、円窓《まるまど》の外を眺めていた。円窓の外に見えるのは雨あしの長い海ばかりだった。しかし彼はしばらくすると、俄《にわ》かに何かに羞《は》じるようにこうY中尉に声をかけた。
「けれども妙に寂しいんだがね。あいつのビンタを張った時には可哀そうだとも何《なん》とも思わなかった癖に。……」
 Y
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