も善《い》いじゃないか?――」
相手は椅子《いす》からずり落ちかかったなり、何度もこんな愚痴《ぐち》を繰り返していた。
「おれはただ立っていろと言っただけなんだ。それを何も死ななくったって、……」
××の鎮海湾《ちんかいわん》へ碇泊《ていはく》した後《のち》、煙突《えんとつ》の掃除《そうじ》にはいった機関兵は偶然この下士を発見した。彼は煙突の中に垂れた一すじの鎖《くさり》に縊死《いし》していた。が、彼の水兵服は勿論、皮や肉も焼け落ちたために下っているのは骸骨《がいこつ》だけだった。こう云う話はガンルウムにいたK中尉にも伝わらない訣《わけ》はなかった。彼はこの下士の砲塔の前に佇《たたず》んでいた姿を思い出し、まだどこかに赤い月の鎌なりにかかっているように感じた。
この三人の死はK中尉の心にいつまでも暗い影を投げていた。彼はいつか彼等の中に人生全体さえ感じ出した。しかし年月《ねんげつ》はこの厭世《えんせい》主義者をいつか部内でも評判の善《よ》い海軍少将の一人に数えはじめた。彼は揮毫《きごう》を勧《すす》められても、滅多《めった》に筆をとり上げたことはなかった。が、やむを得ない場合だけ
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