立していてはわたくしの部下に顔も合わされません。進級の遅れるのも覚悟しております。」
「進級の遅れるのは一大事だ。それよりそこに起立していろ。」
甲板士官はこう言った後《のち》、気軽にまた甲板を歩きはじめた。K中尉も理智的には甲板士官に同意見だった。のみならずこの下士の名誉心を感傷的と思う気もちもない訣《わけ》ではなかった。が、じっと頭を垂《た》れた下士は妙にK中尉を不安にした。
「ここに起立しているのは恥辱《ちじょく》であります。」
下士は低い声に頼みつづけた。
「それはお前の招いたことだ。」
「罰は甘んじて受けるつもりでおります。ただどうか起立していることは」
「ただ恥辱と云う立てまえから見れば、どちらも畢竟《ひっきょう》同じことじゃないか?」
「しかし部下に威厳を失うのはわたくしとしては苦しいのであります。」
甲板士官は何とも答えなかった。下士は、――下士もあきらめたと見え、「あります」に力を入れたぎり、一言《ひとこと》も言わずに佇《たたず》んでいた。K中尉はだんだん不安になり、(しかもまた一面にはこの下士の感傷主義に欺《だま》されまいと云う気もない訣《わけ》ではなかった。
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