かん》が一人《ひとり》両手を後《うし》ろに組んだまま、ぶらぶら甲板を歩いていた。そのまた前には下士《かし》が一人《ひとり》頬骨《ほおぼね》の高い顔を半ば俯向《うつむ》け、砲塔を後ろに直立していた。K中尉はちょっと不快になり、そわそわ甲板士官の側へ歩み寄った。
「どうしたんだ?」
「何、副長の点検前に便所へはいっていたもんだから。」
それは勿論軍艦の中では余り珍らしくない出来事だった。K中尉はそこに腰をおろし、スタンションを取り払った左舷《さげん》の海や赤い鎌なりの月を眺め出した。あたりは甲板士官の靴《くつ》の音のほかに人声も何も聞えなかった。K中尉は幾分か気安さを感じ、やっときょうの海戦中の心もちなどを思い出していた。
「もう一度わたくしはお願い致します。善行賞《ぜんこうしょう》はお取り上げになっても仕かたはありません。」
下士《かし》は俄《にわか》に顔を挙げ、こう甲板士官に話しかけた。K中尉は思わず彼を見上げ、薄暗い彼の顔の上に何か真剣な表情を感じた。しかし快活な甲板士官はやはり両手を組んだまま、静かに甲板を歩きつづけていた。
「莫迦《ばか》なことを言うな。」
「けれどもここに起
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