ふか》はこの海にも決して少いとは言われなかった。……
若い楽手《がくしゅ》の戦死に対するK中尉の心もちはこの海戦の前の出来事の記憶と対照を作らずにいる訣《わけ》はなかった。彼は兵学校へはいったものの、いつか一度は自然主義の作家になることを空想していた。のみならず兵学校を卒業してからもモオパスサンの小説などを愛読していた。人生はこう云うK中尉には薄暗い一面を示し勝ちだった。彼は××に乗り組んだ後《のち》、エジプトの石棺《せっかん》に書いてあった「人生――戦闘《せんとう》」と云う言葉を思い出し、××の将校や下士卒は勿論、××そのものこそ言葉通りにエジプト人の格言を鋼鉄に組み上げていると思ったりした。従って楽手の死骸の前には何かあらゆる戦いを終った静かさを感じずにはいられなかった。しかしあの水兵のようにどこまでも生きようとする苦しさもたまらないと思わずにはいられなかった。
K中尉は額《ひたい》の汗を拭きながら、せめては風にでも吹かれるために後部甲板《こうぶかんぱん》のハッチを登って行った。すると十二|吋《インチ》の砲塔《ほうとう》の前に綺麗《きれい》に顔を剃《そ》った甲板士官《かんぱんし
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