めくぢ》が這《は》つてゐさうな、妙な無気味《ぶきみ》さを感ずるものなり。(八月二十五日青根温泉にて)

     貴族

 貴族或は貴族主義者が思ひ切つてうぬぼれられないのは、彼等も亦《また》われら同様、厠《かはや》に上《のぼ》る故なるべし。さもなければ何処《どこ》の国でも、先祖は神々のやうな顔をするかも知れず。徳川時代の大《だい》諸侯は、参覲交代《さんきんかうたい》の途次《とじ》旅宿《りよしゆく》へとまると、必《かならず》大恭《だいきよう》は砂づめの樽《たる》へ入れて、後《あと》へ残さぬやうに心がけた由。その話を聞かされたら、彼等もこの弱点には気づいてゐたと云ふ気がしたり。これをもつと上品に云へば、ニイチエが「何故《なぜ》人は神だと思はないかと云ふと、云々《うんぬん》」の警句と同じになつてしまふだらう。(八月二十六日)

     井月

 信州《しんしう》伊那《いな》の俳人に井月《せいげつ》と云ふ乞食《こじき》あり、拓落《たくらく》たる道情、良寛《りやうくわん》に劣らず。下島空谷《しもじまくうこく》氏が近来その句を蒐集してゐる。「朝顔に急がぬ膳や残り客《きやく》」「ひそひそと何|料
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