理《れう》るやら榾明《ほたあか》り」「初秋の心づかひや味噌醤油」「大事がる馬の尾づつや秋の風」「落栗《おちぐり》の座をさだむるや窪《くぼ》たまり」(初めて伊那に来て)「鬼灯《ほほづき》の色にゆるむや畑の縄《なは》」等、句も天保《てんぱう》前後の人にしては、思ひの外|好《よ》い。辞世は「何処《どこ》やらで鶴の声する霞かな」と云ふ由。憾《うら》むらくはその伝を詳《つまびらか》にせず。唯犬が嫌ひだつたさうだ。(九月十日)

     百日紅

 自分の知れる限りにては、葉の黄ばみそむる事、桜より早きはなし。槐《ゑんじゆ》これに次ぐ。その代り葉の落ち尽す事早きものは、百日紅《さるすべり》第一なり。桜や槐の梢《こずゑ》にはまだ疎《まばら》に残葉《ざんえふ》があつても、百日紅ばかりは坊主《ばうず》になつてゐる。梧桐《あをぎり》、芭蕉《ばせう》、柳など詩や句に揺落《えうらく》を歌はるるものは、みな思ひの外《ほか》散る事遅し。一体《いつたい》百日紅と云ふ木、春も新緑の色|洽《あまね》き頃にならば、容易に赤い芽を吹かず。長塚節《ながつかたかし》氏の歌に、「春雨《はるさめ》になまめきわたる庭ぬちにおろかな
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