りける梧桐《あをぎり》の木か」とあれど、梧桐の芽を吹くは百日紅よりも早きやうなり。朝寝も好きなら宵寝も好きなる事、百日紅の如きは滅多《めつた》になし。自分は時々この木の横着なるに、人間同様腹を立てる事あり。(九月十三日)

     大作

 亀尾《かめを》君訳エツケルマンのゲエテ語録の中に、少壮の士の大作を成すは労多くして功少きを戒めてやまざる一段あり。蓋《けだし》ゲエテ自身フアウストなどを書かんとして、懲《こ》り懲《こ》りした故なるべし。思へばトルストイも「戦争と平和」や「アンナ・カレニナ」の大成に没頭せしかば、遂には全欧九十年代の芸術がわからずなりしならん。勿論他人の芸術がわからずとも、トルストイのやうな堂々たる自家《じか》の芸術を持つてゐれば、毛頭《まうとう》差支《さしつか》へはなきやうなり。されどわかるわからぬの上より云へば、芸術論を書きたるトルストイは、寧《むし》ろ憐むべき鑑賞眼の所有者たりし事は疑ひなし。まして我々|下根《げこん》の衆生《しゆじやう》は、好《い》い加減な野心に煽動《せんどう》されて、柄《がら》にもない大作にとりかかつたが最期《さいご》、虻蜂《あぶはち》とら
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