ずの歎《たん》を招くは、わかり切つた事かも知れず。とは云ふものの自分なぞは、一旦大作を企つべき機縁が熟したと思つたら、ゲエテの忠告も聞えぬやうに、忽《たちまち》いきり立つてしまひさうな気がする。(九月二十六日)

     水怪

 河童《かつぱ》の考証は柳田国男《やなぎだくにを》氏の山島民譚集《さんたうみんたんしふ》に尽してゐる。御維新前《ごゐしんぜん》は大根河岸《だいこんがし》の川にもやはり河童が住んでゐた。観世新路《くわんぜじんみち》の経師屋《きやうじや》があの川へ障子を洗ひに行つてゐると、突然|後《うしろ》より抱《だ》きつきて、無暗《むやみ》にくすぐり立てるものあり。経師屋閉口して、仰向《あふむ》けに往来《わうらい》へころげたら、河童一匹背中を離れて、川へどぶんと飛びこみし由、幼時母より聞きし事あり。その後《のち》万年橋《まんねんばし》の下の水底《みなそこ》に、大緋鯉《おほひごひ》がゐると云ふ噂《うはさ》ありしが、どうなつたか詳しくは知らず。父の知人に夜釣りに行つたら、吾妻橋《あづまばし》より少し川上《かはかみ》で、大きなすつぽんが船のともへ、乗りかかるのを見たと云ふ人あり。そ
前へ 次へ
全29ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング