も無遠慮に筆を揮《ふる》つた結果なるべし。あれ程でなくとも、もう少し役人がやかましくなければ、今より数等深みのある小説が生まれるならん。
 金瓶梅《きんぺいばい》程の小説、西洋に果してありや否や。ピエル・ルイの Aphrodite なども、金瓶梅に比ぶれば、子供の玩具《おもちや》も同じ事なり、尤《もつと》も後者は序文にある通り、楽欲主義《げうよくしゆぎ》と云ふ看板もあれば、一概に比ぶるは不都合《ふつがふ》なるべし。(八月二十三日)

     竹

 後《うしろ》の山の竹藪を遠くから見ると、暗い杉や檜《ひのき》の前に、房々《ふさふさ》した緑が浮き上つて居る。まるで鳥の羽毛《うまう》のやうになり。頭の中で拵《こしら》へた幽篁《いうくわう》とか何《なん》とか云ふ気はしない。支那人は竹が風に吹かるるさまを、竹笑《ちくせう》と名づける由、風の吹いた日も見てゐたが、一向《いつかう》竹笑らしい心もち起らず。又霧の深い夕方出て見たら、皆ぼんやり黒く見える所、平凡な南画じみてつまらなかつた。それより竹藪の中にはひり、竹の皮のむけたのが、裏だけ日の具合《ぐあひ》で光るのを見ると、其処《そこ》らに蛞蝓《な
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