ぶたへ》づくめなりし由。これ贅沢《ぜいたく》に似て、反《かへ》つて徳用なりと或人云へり。その人又云ひしは、されどわれら若きものは、木米《もくべい》の好みの善きことも重々承知はしてゐれど、黒羽二重づくめになる前に、もつといろいろの事をして見たい気ありと。この言葉はそつくり小説を書く上にも当《あ》て嵌《はま》るやうなり。どう云ふ作品が難有《ありがた》きか、そんな事は朧《おぼろ》げながらわかつてゐれど、一図《いちづ》にその道へ突き進む前に、もつといろいろな行き方へも手を出したい気少からず。こは偸安《とうあん》と云ふよりも、若きを恃《たの》む心もちなるべし。この心もちに安住するは、余り善《よ》い事ではないかも知れず、云はば芸術上の蕩子《たうし》ならんか。(八月二十三日)
痴情
男女の痴情《ちじやう》を写尽《しやじん》せんとせば、どうしても房中《ばうちう》の事に及ばざるを得ず。されどこは役人の禁ずる所なり。故に小説家は最も迂遠な仄筆《そくひつ》を使つて、やつと十の八九を描《ゑが》く事となる。金瓶梅《きんぺいばい》が古今《ここん》無双の痴情小説たる所以《ゆゑん》は、一つにはこの点で
前へ
次へ
全29ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング