感じた通りに書いたものは少し。大抵《たいてい》は大人《おとな》が子供の時を回顧して書いたと云ふ調子なり。その点では James Joyce が新機軸を出したと云ふべし。
 ジヨイスの A Portrait of the Aritist as a Young Man は、如何《いか》にも子供が感じた通りに書いたと云ふ風なり。或は少し感じた通りに書き候《さふらふ》と云ふ気味があるかも知れず。されど珍品は珍品なり。こんな文章を書く人は外《ほか》に一人《ひとり》もあるまい。読んで好《い》い事をしたりと思ふ。(八月二十日)

     十千万堂日録

 十千万堂日録《とちまんだうにちろく》一月二十五日の記に、紅葉《こうえふ》が諸弟子《しよでし》と芝蘭簿《しらんぼ》の記入を試む条《くだり》あり。風葉《ふうえふ》は「身長今|一寸《いつすん》」を希望とし、春葉《しゆんえふ》は「四十迄生きん事」を希望とし、紅葉は「欧洲大陸にマアブルの句碑を立つ」を希望とす。更に又春葉は書籍に西遊記《さいいうき》を挙げ、風葉は「あらゆる字引類」を挙げ、紅葉はエンサイクロピデイアを挙ぐ。紅葉の好み、諸弟子《しよでし》に比ぶ
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