凡兆《ぼんてう》の付け方、未《いまだ》しきやうなり。されどこの芭蕉の句は、なかなか世間|並《なみ》の才人が筋斗《きんと》百回した所が、付けられさうもないには違ひなし。
 たつた十七字の活殺なれど、芭蕉《ばせを》の自由自在には恐れ入つてしまふ。西洋の詩人の詩などは、日本人故わからぬせゐか、これ程えらいと思つた事なし。まづ「成程《なるほど》」と云ふ位な感心に過ぎず。されば芭蕉のえらさなども、いくら説明してやつた所が、西洋人にはわかるかどうか、疑問の中《うち》の疑問なり。(七月十一日)

     蜻蛉

 蜻蛉《とんぼ》が木の枝にとまつて居《ゐ》るのを見る。羽根《はね》が四《よ》枚|平《たひら》に並んでゐない。前の二枚が三十度位あがつてゐる。風が吹いて来たら、その羽根で調子を取つてゐた。木の枝は動けども、蜻蛉は去らず。その儘悠々と動いて居る。猶《なほ》よく見ると、風の吹く強弱につれて、前の羽根の角度が可成《かなり》いろいろ変る。色の薄い赤蜻蛉。木の枝は枯枝。見たのは崖《がけ》の上なり。(八月十八日青根温泉にて)

     子供

 子供の時分の事を書きたる小説はいろいろあり。されど子供が
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