るまいと思ふ。(十月三日)

     誤謬

 Ars longa, vita brevis を訳して、芸術は長く人生は短しと云ふは好《よ》い。が、世俗がこの句を使ふのを見ると、人亡べども業《わざ》顕《あらは》ると云ふ意味に使つてゐる。あれは日本人或は日本の文士だけが独り合点《がてん》の使ひ方である。あのヒポクラテエスの第一アフオリズムには、さう云ふ意味ははひつて居らぬ。今の西人《せいじん》がこの句を使ふのも、やはりさう云ふ意味には使つて居らぬ。芸術は長く人生は短しとは、人生は短い故刻苦精励を重ねても、容易に一芸を修める事は出来ぬと云ふ意味である。こんな事を説き明かすのは、中学教師の任かも知れぬ。しかし近頃は我々に教へ顔をする批評家の中にさへ、このはき違へを知らずにゐるものもある。それでは文壇にも気の毒なやうだ。そんな意味に使ひたくば、希臘《ギリシヤ》の哲人の語を借らずとも、孫過庭《そんくわてい》なぞに人亡業顕《ひとほろべどもわざあらはる》云々《うんぬん》の名文句が残つてゐる。序《ついで》ながら書いて置くが、これからの批評家は、「ランダアやレオパルデイのイマジナリイ・コムヴアセエシヨ
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